【おすすめ本】死の観念と共に生きる大切さ_『悲しくて明るい場所』

悲しくて明るい場所
以前、曽野綾子さんの「『いい人」をやめると楽になる」をいうタイトルの作品を読みました。
その作品は、曽野さんの過去の作品集であり、万人にオススメできる作品ではない(勿論得るものは有りましたが)という印象を持ちましたが、その作品の中で知った曽野さんの言葉の数々に非常に興味を持ったので、「これは、是非読まねば!」と思い先日手にとり、読み始めました。すると、まさに今の自分必要な言葉が満載で、非常に感銘を受けました。その作品がコチラです↓

残念ながら、現在は絶版になっているようで、新品では購入できないようですが、古本では結構出回っているようなので、入手可能です。  まず、この本を手に取るきっかけとなった『「いい人」をやめると楽になる』の中で僕が引っ掛かった言葉をいくつか紹介させていただきます。

「〜(前略)(夫が妻にも、結婚生活にも)理想どころが、平均値も求めないことだ。平均とか、普通とかいう表現は慎ましいようでいて、じつは時々人を脅迫する」

「人がするからいい、のではないのである。人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり、品位である、と私は教えられた。」

「ものの本質を見抜くこと、甘くない現実を認識することは、疑いの精神から発するのである。」

付箋を貼った箇所は、まだまだあったのですが、本書の紹介分に押さえておきます。このような言葉を最初に強く目に止めたせいか、最初は、曽野さんは非常に心の強い方なんだろうなぁ、という印象でした。ただ、本書を読んでみたことにより、曽野さんの印象が変わった部分と変わらない部分がありました。

目次

健康が人生を大きく作用する

僕は30歳過ぎ体の衰えを感じ始めたから健康に気をつけようと考え始めたのではありません。正直どちらが先なのかは分かりませんが、「心」が病むと「体」も病みます。この反対も然りだと思っています。だからこそ、まずは「体」の管理に努め「心」にスキを作らないようにしています。ただ、その前の大切な前提を忘れていました。

著者は、まず健康な状態で生まれたことの素晴らしさを説いています。

「もし、私たちが人並みに健康だったら、私たちはまず両親や社会や運命に大きく感謝すべきであろう。なぜなら病気を金で治した人はいるだろうが、健康な体質を金で買えた人はいないのである。」

そうです。この健康な状態で生まれてきただけでも感謝すべきことなんですよね。当たり前過ぎて普段は何か特別なことを感じることもありませんが。だからこそ、その健康な体質を持っていることを感謝しつつ、健康を維持できるように努める必要がありのです。なぜなら、人は弱いからです。健康が害されると、心が歪んでしまうのです。皆さんもきっと経験ありますよね?

普段ならなんでもないことが、体調が悪いとつい、いらいらしてしまうこと!  また、心の健康のためには、最近のビジネス書等でも取り上げられることもありますが、瞑想とか沈黙がいいようですね。これは、瞑想や沈黙には一種の「退屈」があるからです。その「退屈」がものごとの本質に迫って考えさせ、人間をその人らしくするのです。

必要以上に期待しない。あるがままが大事

そして、曽野さんの考え方の特徴が、あまりポジティブ過ぎないというか人間そして人生のネガティブな側面もしっかり受け止めているということだと思います。

これは曽野さんが幼少時代の家庭環境やキリスト教の信者であり、そのキリスト教が性悪説の上に成り立っていることと関係があるようです。  これは他者に対するスタンスでも明らかであり、本書ではこう書かれています。

〜(前略)それでも、私とその人との友情に支障がないのは、私たちがお互いに「あるがまま」を許容して、相手の本質の部分を本気で批判したり、拒否したり、冒したりしないからだと思う。つまり私たちはお互いが一致する部分では付き合い、相手が不得とする分野や体質的に合わない部分には、決して相手を引きずり込まない、という礼儀を守ってきたのである。

この自分と他者がそもそも異なる存在であるという認識を持つこともまた当たり前と言えば当たり前のことなのですが、僕たちはつい、自分ベースで他者にそれ以上を求めてしまいます

僕が以前勤めていた会社でも「お客様は期待以上のもてなしを受けたときに満足感を感じる」という会社理念がありましたが、この「〜以上」を求めるのは、もちろんいい側面もあると思いますが、様々な誤解を生む可能性があります。つまり、そもそもの期待値が高いから、他者に理想を抱いてしまい、その理想が違う体験をするからその人を非難してしまうのです。

しかし、そもそも他者と自分とは異なる存在というベースがあれば、他者が自分の考えと異なる言動・行動をしたからといっていちいち腹が立ったりしないのではないでしょうか?

だから、「他者」と「自分」が違うという考え方を意識的に持っていることは大切なのです。

人の才能は違っていていいのである。どちらが高級だとか、どちらが正しいとか、どちらが道徳的だ、とかいうことがで計りうる違いではないのである。それこそまさに、あることにむいている性格・才能というより他ない。だから、その特質が生きるような状況におくのが、最も世のため、その人のためなのである。

他者に必要以上に期待をせず、自分との違いを個性と認めることにより、その人を「尊敬」できるようになるのです。

「自由」な人生を手に入れるためには

一方で、自分自身に対しても期待値を上げ過ぎないことが大切です。よく言われるような「他人に優しく、自分に厳しく」は理想ですし、それが普通と感じられる人はそれでいいと思いますが、自分を追い込んでしまうことに繋がりかねません。

私は努力をしないのではないが、運命に強硬に逆らうことをどうしめも美しいとは思えないたちだった。むしろ諦めることにうまくなり、限定して与えられたもののなかに楽しさや静かさやおもしろさを見出して行くほうが好みにあっていた。これは善悪の問題でないあ。生き方の趣味の問題であった。人間は基本的に運命に流されながら、ほんの少し逆らう、というくらいの姿勢が、私は好きなのであった。

という考えを持っているから著者だからこそ、何か問題が発生したときには、時には卑怯に逃げまくる姿勢が大切であるとも本書の中で言っています。

ただし、ここで重要なのが卑怯に逃げまくる姿勢とともに、正面切って問題にぶつかる勇気の両方がないと人生は自然に生きられないと主張している点です。危険がない人生には、魅力がないともはっきり書かれています。

世間の非難があっても、やるべきこと思うことはやるとき人間は初めて自由ななれるのだろう。

そして、この「自由」を手に入れるには代償を払う必要があります。

自由の代償は、お金だけでは済まない。悪評、孤立無援の思い、危険、誤解を受ける恐れ、を覚悟しなければならない。それを払って自由を手にいれるか、あくまで人の評判を気にして自由を諦めるかの選択は、全く個人の自由に任されている。

あるがままを受け入れる、逃げまくる姿勢も大切という人が何をそんか厳しいことを!という考えもあるかと思いますが、あくまでその選択は「自由」なんです。非難や悪評を気にしてやらないのも「自由」、その危険を犯してでもやるのもまた「自由」。

であるならば、僕は後者を取ります。このブログを始めたのもまたそのためでもあります。

では、その非難や悪評を受けたとしても、自分がやるべきこととはどうすれば見つけられるのか? それは筆者によると、「死を意識すること」です。

死と自由とは、大きな関係がある。
人間がいつまでも生き続けるように見える世界だけを対象にしていると、私たちは判断をあやまり、大して重要でもないものにがんじがらめになる。しかし死の観念と共にいきていると、多少とも選択を誤らなくて済む。自分にとってほんとうに要るものだけを選ぶようになる。
それが自由なのである。

この「死を意識する」というのは、ネガティブなイメージがあるとかもしれませんが、とても大切なことだと思います。むしろポジティブに生きるために「死を意識する」ことは必要なだと思います。僕は自分自身の経験から、死というものが常に身近に感じるようになり、そこから取るべき行動がはっきりしました。

僕の現在の文才では本書の魅力を上手く伝えることができていないかもしれませんが、これからの人生にとって必要な言葉を色々といただきました。ビジネス書でもこういった人生論、人生哲学のような本はありますが、曽野さんの言葉は、すぅ〜と心のなかにはいってきます。

皆様におすすめしたい良書です。是非、手に取ってみてください。

オリジナル記事の投稿年月日:2012年4月9日
当記事は管理人が過去に運営していたブログ『」リー:リー:リー』に投稿した記事です。管理人のミスでブログ自体が消滅してしまいましたが、生原稿が残っていたものを若干修正のうえ、再アップさせていただいております。

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