日本人として日本にくらしていると、自分がどこかの「コミュニティ」に属していると考える機会はあまりないかもしれません。もちろん、自分の身の回りの「家族」や「職場」や「学校」といった範囲もコミュニティといえます。しかし、こと「人種」や「民族」のコミュニティというと、普段は全く意識しないと思います。
それは当然です。何故なら日本人は日本において「大多数(マジョリティ)」だからです。当然他の国のように、日本にも中国や韓国などのアジア人をはじめ、その他の国の人達のコミュニティも存在しますが、他の国に比べるとその存在は圧倒的に「少数派(マイノリティ)」です。
だから、「人種」「民族」という観点で言えば、普段あまり自分と異なる価値観の人と接する機会がないため、コミュニティの存在を意識しません。ただ、意識してみると「日本人的」な価値観や行動規範は驚くほど日本全国に浸透しています。これを文化や伝統と呼ぶのかもしれませんが、そういった意味では日本に住む日本人も「日本人コミュニティ」に属していると言えるのかもしれません。
本書は、著者である高山マミさんが、黒人のだんな様とご結婚され、黒人文化にどっぷり浸かって生活されてきたからこそ感じた「黒人コミュニティ」が持つ現状や特徴を明らかにし、その問題点や原因を鋭く指摘した内容となっています。
音楽やスポーツや歴史を通して「黒人」に興味を持ち、テレビや雑誌でニュースを通して黒人社会の光と影の両極端な情報しか知らない我々にとっては、そのリアルな現状に少々ショックを受けるかもしれません。しかし、本書を通して得られるのは、「黒人コミュニティ」の情報だけではありません。著者は「まえがき」でこう綴っています。
「異文化」には違いないが、彼らを見れば見るほど、知れば知るほど、自分(日本や日本人)のことがよく見えてくる。黒人たちの抱える問題は、決して対岸の火事ではない。
そう、普段内側にいるため意識することがあまりない「日本人コミュニティ」の存在を意識させ、一歩引いた外側から「日本人コミュニティ」について考えさせてくれる機会を与えてくれます。
そんな訳で、本書の中で、僕が感じたことをいくつか紹介させていただきます。
補足ですが、本書を手に取られた方は、著者の前作『ブラックカルチャー観察日記』を読まれた方が多いかと思いますが、未読の方は、本書を読まれる前に是非前作をオススメします。本書よりも、雑学的なものも含み広いテーマについて記載されているため、取っかかりとしては楽しく読めますし、本書の中では著者のご家族を始めとした沢山の人物が登場しますが、前作でも登場する人がいるため、前作が予備知識となり、理解しやすいと思います。
守りに入る内向きな中産階級「Yes, You Can !」
僕たちは黒人文化というと、大多数の貧しい人々とその貧困を抜け出したほんのひと握りの成功者という構図を想像しますが、これはマスコミ報道の偏りからくる思い込みで、実際には、中産階級層が一番多いそうです。そしてこの大多数である中産階級層が以前と比較すると「保守的」になっているのだそうです。
保守的であるということはどういうことか? それは、自分が所属するコミュニティの外にでないということ。具体的には、黒人達が住む地区に住み、黒人達が住む地区以外の場所には旅行にはいかないということ。しかも、その原因が金銭面では無く、不快な思いや危険な場面を避けたいからという内向きな理由によるものだそうです。
確かに黒人の達は迫害されてきた歴史があるため、危険を避け、現状を維持できれば良いという考えに偏るのは別に悪いことでは無いようにも感じられます。しかし、本書の中の言葉を引用させていただくと、
「黒人たちから『黒人らしい』と言われる黒人は、黒人コミュニティのなかで生まれ育ち、そこを離れない人間のことだ。コミュニティの外の人と接することなく大人になり、そこから抜け出すこともなく満足する人たちのことである。」(P52)
という「○○らしさ」は、そのコミュニティ内側の結束感を高めるには有効かもしれませんが、内向きになり過ぎ外側に対して批判的になること、更にコミュニティ内部の異分子を排除しようとする動きに繋がりかねません。実際にコミュニティを出る黒人は、白人社会にこびを売る者として扱われ「あいつはアンクル・トムだ」と軽蔑されるそうです。
しかし、このようなのミュニティ内部の人間に「○○らしさ」を求めるのは、日本でも全く変らないと思います。学校、会社、その他諸々の場面で、この「○○らしさ」という正体不明の価値観やルールに拘束され、そこから逸脱する行為・言動をする人は叩かれます。そう、最近特に話題になっている「いじめ」も、このような村意識が原因の一つにあげられますよね。僕はこの辺りの話を読んでいて、作家・村上龍さんの言葉を思い出しました。
今の日本人はどんどん内向きになっています。異質なものを排除し続けて、他者と出会ったり、他者と話したり、違う文化を持つ人々と交流することに価値を見いだせず、放棄してしまっている。これは危険だと思います。棲み分けの第一歩ですよね。
僕もまだ30歳そこそこの小僧ですが、それでも日本全体に漂う空気の流れは、10年程前と比較すると確かに内向きになっているような印象を受けます。日本の場合には愛国心を高めようと画策する政治的な動きも影響しているのかもしれませんが…。
政治と言えば、今から4年前の2008年の民主党大統領候補選挙は日本でも話題になりましたよね。当時のこの選挙の日本での報道を思い出すと、「Change」「Yes, We Can !」という分かりやすいメッセージをオバマさんが掲げ、それに全米の黒人達が「俺たちがアメリカを変えるんだ!」と呼応し、更に他の民族の支持も受け当選したという印象があります。実際に黒人の方のインタビュー映像が多かったような気がします。
しかし、本書によるとオバマ支持のボランティアスタップの殆どは白人であり、能動的に選挙に参加していたのも白人たちだったのに対して、黒人達の多くは「オバマが黒人だから」という理由だけで「オバマがアメリカを変えてくれる!」ことに期待していた受動的な参加姿勢だったそうです。
「Yes, We Can !」ならぬ「Yes, You Can !」といったところでしょうか?
制度だけでは変わらない、今なお残る差別と被差別意識
上記のような保守的と言われる黒人中間層が主流と言われる中、僕たち日本人が、黒人は差別に対しては立ち上がる民族だ、という思い込みがあるとかと考えるとは、それはやはり歴史的な教育によるところが多いのでしょう。
本書のなかでも記載があるように、当時はジム・クロウ法と呼ばれる人種分離法が施行されており、街中のあらゆる場所で黒人と白人は分離されていたなか、黒人と白人の中間席に座っていた黒人ローザが白人のために立つように言われたのを拒否し逮捕された事件から、黒人たちのバス・ボイコット運動につながり、さらにキング牧師が立ち上がって、あの有名な「I Have a Dream.」の演説が行われたという歴史は多くの日本人が知っていることです。
もちろん、その後、法律上は全ての民族が平等とされており「自由の国アメリカ」というイメージが無いとはいいませんが、今なお民族間の隔たりはあるようです。しかし、そこでの黒人たちの反応は、差別に対しては自ら立ち上がり、戦い、そして自分たちの権利を勝ち取ってきたという過去とは違い、白人との間に壁を作り、その自ら作り上げた箱の中で、白人を批判・口撃するという、これまた内向きの状況になっています。
以前、著者の前著『ブラック・カルチャー観察日記』のレビューでも書かせていただいたのですが、この他人の悪口を言うというのは黒人文化の一つになっているようですが、これは非常にマイナスの要素が強いと思います。なぜなら、他人の悪口を言うことは、何かしらの原因を他の対象に「○○は白人が悪い」と転嫁してしまうため、それが自分たちの向上心の弊害になってしまうからです。
またこのような環境で育った子供達には、大人たちが持っている思想は確実に遺伝します。それは僕たちが、僕たちの両親の言動から何らかの影響を受けているのを考えれば容易に想像できると思いますが、著者が黒人は酒やドラッグに依存しやすい環境に置かれていると記載しているところで述べている一文にピッタリとくる言葉あります。
黒人コミュニティの依存症を見ている限り、遺伝とも人格障害とも思わない。「社会的遺伝」というものがあれば、それに相当するのでは、と思っている。「自分はダメな人間なんだ」という自己否定の感情を否応なく持たされ、無意識のうちに世代を超えて伝わる。」(P129)
この「社会的遺伝」が差別と被差別意識をより強固にしていることを大人たちが意識できていないのが残念です。
また、一方で、白人側の記述でガツンと衝撃を受けた一文があります。
白人たちの多くは、実は黒人をすごく嫌っていたりする。「人種差別はもうない」なんてのんきなことを言えるのは、黒人たちといっさい接していない白人地域に住む白人である。(P131)
まぁ、現実的に考えれば当たり前なのかもしれません。世界中で今なお民族紛争による戦争が起こったりしますし、僕たち日本人も隣国である韓国人や中国人との関係を見てみても、表向きでは韓流ブーム等という報道があっても、その反面、ネット上では見に耐えないような激しい批判の応酬が繰り広げれれていますし…。
ただ、単なる批判は決して何も生まないし、何も解決しないと僕は信じています。勿論、それは何でもかんでも受け入れるという訳ではありません。ときには批判をしなければいけないこともあります。ただそんなときは本書に記載されている著者の旦那さんの祖父ルイスさんの言葉を胸に留めて置こうと思います。
「批判をするのなら批判する人たちのことをよく勉強すべき」
僕たち日本人も、安易に世論や、世間の空気に流されることなく、個人個人がしっかりと考えることが大事なんでしょうね。
勉強だけではない、広い意味での「教育」が鍵を握る?
本書を通読して、一番大切だなぁと感じたのが教育問題です。この「教育」は、単に学校での勉強という意味での教育だけでなく、もっと広い意味での教育です。この点でも他の問題点と同様に、日本の教育にも問題がありますが、この教育という切り口で言うと、黒人コミュニティの教育における問題は深刻です。
まず、学校の教育という点では本書から察するに、日本の義務教育の環境と比較すると、かなり環境は良くないのでしょう。ただ、それ以上に問題なのは、「勉強をする」ということがバカにされ、白人に媚をうる裏切り者としてイジメにあうということでしょう。確かに、日本でも10代の頃は特に、ちょっとワルぶった感じの人が人気があったりしますが、まだ、周りに勉強の重要さを説く大人がいるのでまだマシです。
子供の頃に、周りから馬鹿にされるという経験は、大人になってから周りに馬鹿にされるのとは比較にならない程、しんどいはず。ただでさえ黒人であること、そして貧困であること、という2重のハンディを抱えることが多い黒人の子供が、そのような環境のなかで、落ちこぼれずに努力をし続けることが難しいに違いありません。
また、対比として、同じように世界で長い間迫害され、差別を受けてきたユダヤ人についての記載があります。本書によるとユダヤ人はアメリカの総人口の2%に過ぎないが、富裕番付400位の4分の1を占めているそうです。日本でも本田健さんのべストセラー『ユダヤ人大富豪の教え』をはじめ、ユダヤ人の成功者にまつわる書籍などは多数出版されていますし、そのことについては知っている人は多いと思いますが、ユダヤ人と黒人の違いは教育に対する姿勢であると、本書でも述べられています。
また、著者の前書でも問題視されていたシングルマザーの多さや貧困、そして生活保護による福祉依存などを含めた「性」に関する教育の低さはかなり問題があると感じました。
最初に男性についてですが、女性を妊娠させることが、「男」としてのステータスにもなっているようで、一般的道徳や個人的義務感を感じず、妊娠した女性を捨てる男が多いそうです。これは、日本人の一般的な感覚だと、ちょっと信じ難い事実でした。
一方の女性もまた、黒人の特に貧困層にはシングルマザーが多いようですが、これは日本でも最近話題にあがることが多い生活保護の問題があるようです。といっても若干その問題の中身が違うようです。
シングルマザーに育てられて娘は、母親と同じ道を歩むと言われる。~(中略)~現在の生活しか選択の余地がない女性たちは、子供をつくって生活保護を受けよう、という魂胆を持っている。生活保護を受けて暮らしてきた母親の姿が「生活の知恵」として受け継がれているのだ。(P89)
これは日本と同様に仕組みにも問題があるような気がしますが、アメリカの黒人コミュニティにおいては、この生活保護を受けることが普通になっていること、また、そのシングルマザーとなった女性の家族がその女性の面倒をみるという一見すると美しい「助け合いの文化」が、福祉と家族という2重の依存体質を作ってしまっている点が問題をより難しくしてしまっているようにみえます。
また、未婚の出産が増えたのには「産む権利」という意識が広またったこともあるそうです。産むか産まないかは個人の権利であり、非難されるものではないという考え方は取りようによっては自由で良いことのようにも見えますが、このようなマイナス要素もあるんだなぁ、と感じました。
あと、これは、なるほどなぁ、と思った図式が、黒人コミュニティの女性にとって子供を産み母になるということは、男から必要とされているという「証」であり、「一人前の女」であることにシンボルにさえなるそうです。
その一方で、アメリカは同性愛にはオープンで結構多いというイメージがありますが、女性がレズビアンになる理由として男が必要でないという「証」になるからどいうこともあるそうです。
本書には僕たち日本人から見ると明らかに問題があると思われる要素が数多く紹介されています。これは、著者である高山マミさんが、黒人コミュニティの外部出身者だからこそ、感じた、又は気付くことができたことであり、黒人コミュニティの内部にいる人たち、特にその内部から外にでない人たちにとっては、それらは「当たり前」のことだから、それらに問題があることに気付くことは難しいのでしょう。
ただ、冒頭にも記載させていただいたように、僕たち日本人のも同様の問題点は色々とあるのだと思います。日本人全体の問題と捉えなくても、例えば、自分達がいつも暮らすその地域のコミュニティ、学校や職場のコミュニティ、などそれぞれのコミュニティの内側にいると往々にして気がつくことができないことが多々あります。
そんな時に必要になるのが、やはりコミュニティの外側に出てみること。外側にでてみると、自分が当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないんだ、ということに気付くことができます。確かに、自分の価値観と違う人達に接すると時には不快に感じることがあるかもしれません。ただ、その不快に感じることを避け、内側にこもってしまうことの弊害は本書を読むことにより明らかです。
僕は最初は音楽など黒人文化に興味があり本書を手に取ったのですが、前書「ブラックカルチャー観察日記」、そして本書「黒人コミュニティ~」を読ませていただきましたが、思いがけず、日本人、そして日本人コミュニティについて色々考えさせられました。
最後に、先程引用させていただいたルイス叔父さんの別の言葉で、これまた僕の胸に刺さった言葉を紹介して、締めさせていただきます。
「たくさんの、“違う”友達をもつこと」
オリジナル記事の投稿年月日:2012年8月3日
当記事は管理人が過去に運営していたブログ『」リー:リー:リー』に投稿した記事です。管理人のミスでブログ自体が消滅してしまいましたが、生原稿が残っていたものを若干修正のうえ、再アップさせていただいております。