【Non-BP Life】家族としての立ち位置はどこに?

家族としての立ち位置ここ一月程、自分のなかで納得いく答えが出せずに悶々としていることがあります。

当ブログでも紹介させていただいたのですが、僕は以前、山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を読ませていただいて非常に感銘を受けました。というか、昔は自分も活字に携わる仕事に就いていながら、その当時は、文字の持つ力というのをいまひとつ信じていなかったことが今更ながら恥ずかしい限りなのですが、改めてここ数ヶ月、拙いながらも、文章で自分の想いを伝えようと悪戦苦闘しているなかで、改めて「書く」スキルの大切さを実感しています。

目次

「医療」と「福祉」と「教育」

前置きが長くなってしまいました(^^ゞ

その山田ズーニーさんがほぼ日刊イトイ新聞で連載している『おとなの小論文教室。』の2012/03/21の「Lession580 仕事の選択6」の内容が、僕を悶々とさせていることなのです。

非常にタメになったので、気になる方は是非一度読んでみて欲しいのですが、そのなかで、ズーニーさんは、「医療」と「福祉」と「教育」がそれぞれ持つ役割の違いについて説明されています。要点を少し抜粋させていただくと、

病気がある限り「治そう」とするのが医療。
病気の人が、ありのままに、その人らしく生きるのを「支援」するのが福祉。
教育は、つねに「その先」へ導くのが仕事。
まるごとその人を受けとめるというのは「家族」の領域ではないか。

ということです。僕は、この言葉を目にして「う〜〜ん」と唸ってしまいました。

「もしかしたら自分なら…」という発想

これから僕が書いていることは、ズーニーさんが書いている内容とは直接的には関係ないことです。僕がボーダーのパートナーと日々接しているとき、「医療」「福祉」「教育」はたまた「家族」という立場、どの立場で接していただろうか? とつい考えてしまったのです。

前述のように、境界性パーソナリティ障害(ボーダー)という病気をかかえるパートナーを「家族」としてありのままを受け止めていただろうか?

いや、それはできていなかった。というか、ボーダーの人をありのまま許容してしまったら、ノンボーダーである自分は恐らくあっという間に崩壊してしまったに違いありません。だからこそ、常に境界線を自分の周りにはりめぐらしていたし、それでも、いとも簡単に境界線を突破してくるパートナーにはいつもどこか脅えながら生活をしていたと思います。

そして、その境界線を少しでも堅固なものにするために、手を出す領域が「医療」です。これは人によって違うと思うと思いますが、ボーダーに限らず、世間的に少数派で回復するための治療法が確立されていない病気をかかえる人が身近にいる家族は必死になってその病気に関する情報を集めると思います。新聞、雑誌、テレビや書籍はもちろん、ネットなどを駆使して、少しでもその病気についての知識を身に付け、何か、自分が力になれることはないか? 必死で求め続けます。

そして、なにか役に立ちそうな情報を手にいれると、それをあたかもお医者さんかのように、「あれをするといいみたいよ?」とか、「教育」者のように「ある人はあれをしたら良くなったみたいよ!」とか勧めてみたりします。

所詮お医者さまでも簡単に治せない病気を、素人が手に入れられるような知識で治せるわけはないのですが、それでも「自分なら、なんとかできるかも!」とつい思ってしまうんですよね。パートナーを助けたいと思う気持ちと自分が少しでも楽になりたいという切羽詰った思いがそうさせるのだと思います。

そして、最後に「福祉」。家族としては、福祉の立場に最も近いのかもしれませんが、これをちょっと違う気がします。というのは、福祉に携わる人たちが提供してくれる人的支援は、場合によっては本人のみならず家族にとっても非常に助かるものですが、一番助かるのはやはり金銭的支援だと思います。

この「医療」という奴は、非常にお金がかかります。特にボーダーは障害者手帳を取得するには微妙なラインに置かれているようで、手帳を取得できないとすると金銭的な負担は結構なものになります。もちろん、支える僕らパートナーがしっかり稼ぎがある場合は問題ないかもしれませんが、身近にボーダーの人がいると時として支える側がダウンしてしまうこともあるでしょう(事実、僕もそうなりました)。そんな時、家族がいることが逆に福祉的な支援(例えば生活保護など)を受けることが難しくなることもあります。身内がいなく一人のほうが「福祉」の面では支援を受けやすいんですよね。

「家族」としてできること?

ちょっとぐだぐたですね、スイマセン(_ _ )/

なんか、「家族」の立場ってどっちつかずで中途半端な存在な気がして、時々無力感を感じることがあります。「医者なら治す」「福祉なら支援する」「教育なら導く」って役割がしっかり決まっていれば、分かりやすいのですが、結局どの専門家にもなれないし。

「家族」としてできること?

「なんなのかなぁ?」

なかなか「これだ!」という答えがでてきません。

オリジナル記事の投稿年月日:2012年4月29日
当記事は管理人が過去に運営していたブログ『」リー:リー:リー』に投稿した記事です。管理人のミスでブログ自体が消滅してしまいましたが、ノンボーダーとしての経験は避けることができない人生の一部であるため、元記事を若干修正のうえ、再アップさせていただいております。

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