ただただ好きな映画15選(中編)

「ただただ自分が好きなもの」という括り、映画編の2回目です。

・映画編の1回目はコチラ → ただただ好きな映画(1/3)

本当は、11作品程に絞りたかったのですが、絞りきれなかったんですよねぇ。全部で15作品にご紹介させていただきますが、今回がその2回目で、6〜10作品目です。10作品も紹介するとかなり好みが分かってしまいますね。

特に順位は付けていませんが、どれも自信をもってオススメ出来る作品ばかりなので、観たことが無い作品がありましたら、是非ご覧になってみてくださいな(^_-)-☆

目次

『チアーズ!』(原題:Bring it on)


比較的シリアス系の映画のセレクトが多くなっていますが、結構ベタな青春映画も好物だったりします(笑)。一応、今回の好きな映画紹介は15作品に絞ったため、この系統の映画は1つにすることにしたため今作品を選びましたが、もう一つ、どちらにしようか迷ったのが『アメリカン・パイ』。童貞喪失のために奔走するおバカ満載のお笑い要素あり&最後にホロリと感動要素ありという如何にもアメリカの青春映画という上記の作品も捨てがたいですが、今回は『チアーズ!』にしておきます。

スパイダーマンのヒロイン・メリー・ジェーン役の大ヒットですっかり大女優の仲間入りのキルスティン・ダンストですが、失礼を承知で書かせていただくと美人かと問われると「う〜ん」と返答に困ってしまうような容姿。いや、もちろん美人さんには間違いないのですが…。でも、「少しドジだけど常に一生懸命で、側にいると何かほっとけない感じ(?)の女の子」トーランスを演じた今作の役柄は彼女にとってハマり役だったと思います。

日本ではあまり馴染みがありませんが、チアリーダーというスポーツ競技の強豪チーム「トロス」のキャプテンに就任した彼女は、連続優勝を狙い練習に励むのですが、チームの伝統の振付けが盗作であることを知り、優勝どころか出場できるかどうかの危機に!
しかし、そこは転校生ミッシーの協力も受け、一からチームを立て直すのだが、そこにはライバル校・クローヴァーズが立ちはだかる。果たして優勝はどのチームの手に?

というベタな展開ですが、青春映画に関してはこのようなベタさ加減が逆に心地よいのです。スピード感溢れるチアの演技と同様にテンポ良く展開されるストーリー展開はストレス無く観ることができ、否応なしにテンションが上がります。

あ、本編の中でチアの女の子達のチアのコスチューム姿よりも、彼女たちのカー・ウォッシュ(車の洗浄)の場面に反応した貴方、フェチ度高いですよ!

『Dancer in the Dark』


今作品について今でも強烈に記憶に残っていることがあります。僕はこの映画はレンタルビデオで借り、日曜日の午前中に居間にある大きなテレビ(当時実家の自分の部屋にはテレビが無かったため)で一人で観たのですが、映画がまさにクライマックスを迎えようとするその時に、昼ご飯の時間になってしまい、家族が皆居間に集まってきたのです。いつもならその時点で停止ボタンを押し、後で続きを見たかもしれませんが、内容に引き込まれ夢中で観ていた僕は、そのまま見続けました。その結果、あの映画は衝撃のラストを迎え……。一瞬で部屋の雰囲気が凍りました(^^ゞ あの時の感じた気まずさは今でも忘れません。

監督・脚本は「奇跡の海」でカンヌ映画祭審査員大賞を受賞したラース・フォン・トリアー、ヒロインである目の不自由なシングル・マザーをあのビョークが演じた異色のミュージカル映画。

 映画の舞台はアメリカの田舎街、工場で働きながら息子ジーンを育てるセルマ(ビョーク)は遺伝性の病気のため視力を失いかけており、その息子もまた同じ病気のため将来は同じ道を辿る運命にあるため、セルマは密かに息子の手術費用を貯めていた。しかし、彼女は病気の進行により仕事はクビになってしまい、さらに信用していた警察官のビルに貯めていたお金までも奪われしまう。なんとかお金を取り戻したいセルマはビルをお金を返すよう迫るのだか、もみ合っているうちに拳銃でビルが死んでしまい、セルマは殺人犯として逮捕され、裁判にかけられてしまうことになる、という展開。

タモリさん程ではないけれど、僕もミュージカルはちょっと苦手。「オペラ座の怪人」「シカゴ」など映画にミュージカルの手法を取り入れた作品は他にもありますが、正直どこか不自然な感じが否めないんですよね。ただ、今作品のヒロインであるセルマが元々ミュージカルが生きがいで劇団でも演じているという設定であり、何よりビョークの強烈な個性・歌声がその不自然さを帳消しにしていまうほどインパクトがあるため、それ程違和感なく物語に入り込めます。感覚的にはミュージカル・シーンはPVを観ているようで、映像と音楽とのシンクロ率が高いです。

「息子のために全てを捧げる」セルマの不可解とも取れる言動は、まだ人の親になっていない僕には理解を超える部分があり、また、彼女の周りの登場人物達の言動は、普段は善人ぶって隠している自分の中の陰部が炙りだされるようで嫌悪感を感じるし、加えて最後にあのラストです…。鑑賞後、その救いようのなさに暫く放心状態になってしまいますが、これもまた勧善懲悪型のハリウット映画には無いミニシアター系映画の魅力だと思います。

『アメリカン・ヒストリーX』


あまりハリウッドの俳優さんで、「めちゃめちゃこの人が好き!」という人はいないのですが、エドワード・ノートンは好きな俳優さんのうちの一人です。あくまで個人的なイメージですが、頭の切れるサブ・リーダーって雰囲気が素敵です。ただ、今作における彼の役柄は、彼に対してもっていたイメージを覆すほどのインパクトがありました。DVD(ビデオ)のパケに映っている強面のマッチョ姿の男を見て、その男がエドワード・ノートンとは予備知識がなければわからないでしょう。

 彼が演じるデレクは白人至上主義のネオナチのカリスマ的存在。その尊敬する父を黒人に殺されて反動からネオナチに入会し、有色人種への差別・暴力行為を繰り返し、ついには殺人まで犯してしまい、刑務所行きになる。しかし、その刑務所のなかで、一人の黒人との出会いが彼の人生を変えることとなる。
一方、デレクの弟ダニーは、ネオナチのリーダー的存在だった兄への憧れから、兄の服役中に、彼もまたネオナチのグループに属し、白人至上主義へと傾倒していくことになる。その姿はまさに兄デレクが辿った道そのものだった。
その後、出所した兄デレクは、弟ダニーの考えを正そうと試みるが、弟は崇拝していた兄の変わり果てた姿に失望し言うことを聞こうとしない。その結果むかえる衝撃的なラスト・シーンは実に痛々しい。

今作品のテーマはアメリカ社会に根強く残る「人種差別」。日本人として日本に生まれ育つと、この「人種」という問題についてはっきりと意識することはまずありません。学校等では国語や道徳、日本史・世界史などの授業で学ぶ機会はもちろんありますが、あまり心に残ることもないでしょう。なぜならそれは僕たち日本人が大多数だからです。しかし、日本にだってりっぱな差別は存在します。ただ、僕たちが大多数であるがため、その存在に気がついていないに過ぎません。ある意味顕在化していない分、タチが悪いかもしれません。

この映画で印象に残ったシーンの一つに、「なぜデレクが黒人に対する差別意識を抱くようになったか?」が分かるシーンがあります。それは、尊敬する父親が生前に食卓で何気なく黒人文学に対して批判をするシーンなのですが、この父親の無意識的な差別意識がデレクの黒人差別の種となります。このマジョリティが持つ「無意識的」な思想を、その国の歴史と見れば格好よく映るかもしれませんが、これは場合によっては今後何世代にも渡って、偏見や差別を生み出すことにも繋がりかねません。

「暴力」はイケナイ、「人種差別」はもちろんイケナイ、とあたかも他人事のように傍観した立場ならそう簡単に言えるかもしれませんが、自分の周りの社会に置き換えて考えると、「はたして自分は今どう思想を持ち、どういう立場で生きているのか?」ということを考えさせられる映画でした。

『マトリックス』


映画・音楽・スポーツ等なんでも当てはまるかもしれませんが、過去の作品や出来事を後追いで体験することよりも、自分の人生の過程で作品や出来事をリアルタイムで体験したほうが、そこから感動や衝撃が大きいような気がします。例えば僕はサッカーが好きなため、過去の名試合を映像で見るのですが、もちろん、その名勝負を見ることにより衝撃を受けますが、それよりも自分が中学の時にみたドーハの悲劇のロスタイムの同点ゴール・シーンが今でも鮮明に記憶として残っていたりします。それと同じ感覚(?)で、『Matrix』を高校生の時、男友達数人と新宿の映画館のレイトショーで初めて見た時の衝撃は今でも鮮明に残っています。

コンピュータが支配する仮想現実の中で生かされている人間達が、その支配から抜け出し、本物の自由を勝ち取ろうと仮想現実の世界「マトリックス」の中でプログラム達と闘うという設定、最後まで謎を含ませたまま終わるストーリー展開、当時としては革新的なカメラワークを駆使して撮影された格闘シーン、そしてCGで造り上げられたマトリックスと現実世界の映像美。映画を見終わった直後に感じた、頭を掻きむしりながら「うぉ〜〜!」と叫びたくなってしまう程の高揚感を与えてくれた映画はその後もそれ程出会っていません。いくら大画面テレビが標準になった現在でも、こういう映画は映画館で観たいですよね。という訳で、映画の醍醐味を満喫するという点では、この作品は外せません。当然、続編「リローデッド」「レボリューションズ」もね!

『羊たちの沈黙』(原題::The Silence of the Lambs)


その人がその場所にいるだけで圧倒的な存在感を放ち一瞬で人を惹きつけてしまう、そんなカリスマ性を持った人というのは確かに存在します。そして、このカリスマ性というのは、単に魅力的な人が努力によって努力して身に付けた魅力とは異なり、後天的に身につけることができるものではないのだと思います。だからこそ、そのような人を目の前にしたとき、人はいや応なしにその人の虜になってしまうのではないでしょうか? 今作品の重要人物であるハンニバル・レクターもまたそのようなカリスマ性を持った人物です。

物語は殺害した女性の皮を剥ぐという猟奇的な殺人が続発し、この捜査に行き詰まったFBIが、天才精神科医でありながら同時に殺人鬼でもあり現在は獄中にいるハンニバル・レクター(A・ホプキンス)から犯人のヒントを得ようと近づくことろから始まる。その役目を担った訓練生であるクラリス(J・フォスター)は、この任務を成功させるべくハンニバルと面会し、自分の少女時代の過去を話すという条件で、事件解決へのヒントを得るのだが、その面会を重ねるにつれ二人の間には奇妙な関係が生まれ始めていく…。

トマス・ハスリのベストセラー小説を映画化したサイコ・スリラーですが、とにかく先の読めない展開に終始心拍数は上がりっぱなしになり、突如訪れる残虐なシーンにも目を背けることすらできません。本当に心臓に良くない作品です。そして、何より今作品のレベルを引き上げているのが、ハンニバルとクラリスの細かな人物描写具合と、2人の間での高度な心理戦、そしてそれを演じたアンソニー・ホプキンスとジョディー・フォスターの名演ぶりです。A・ホプキンスは下品で残虐な、本来なら反吐を吐きたくなるようなハンニバルを、どこか上品で崇拝したくなってしまうほどのカリスマ的な存在に仕上げていますし、J・フォスターは、女性の可憐で崩れやす弱い部分と常に困難に立ち向かう芯の強い部分の両面を絶妙に演じています。その2人のやり取りがあまりにも強烈過ぎるため、連続殺人犯バッファロー・ビルとの対決が若干霞んでしまうほど。

今作品も①「羊たちの沈黙」→②「ハンニバル」→③「レッド・ドラゴン」→④「ハンニバル・ライジング」と続編が製作されました(時系列としては、④→③→①→②)が、このシリーズに関しては『羊たちの沈黙』の完成度がずば抜けています。

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